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2022/10/31
施設長のつぶやき~アパルトヘイトでも始めるつもりか!!②~
先ほどネットニュースでCDの中古販売を取りやめる店が増えている等の
記事がありました。
CD全盛期時代の我々世代は寂しい限りですね。
ネットがなかった時代は新曲がいつ出るかわからなかったので町のCD屋さんに
足しげく通い、そこに貼ってある発売予定表を確認していました。
特に布袋さんは当時ファンクラブがなかったので情報なんてありませんからね。
新曲が出る事がわかり、タイトルが判明し、発売日がわかると急いで予約
発売日当日にCD屋さんに買いに行き、CDプレーヤーに入れるまでのドキドキ感、懐かしです。
今も変わらずCDは買いますが、ほとんどネット通販ですからね…
まぁ、音を楽しむという点では今も昔も何も変わってはいませんが。
それでは前回の続きです。
今恐ろしいのは個人の判断を超えて政府がそのように誘導しているように見える事です。
以前も書きましたが人々の考え方が変な常識に向かった時、差別は平気で起こります。
それを政府や専門家を名乗る者が率先して誘導してどうするのか
ましてテレビやネットなど人々に大きな影響を与える場所で発信してよいのか
私はそこに警鐘を鳴らしているのです。
もしどうしてもそのような考え方を発表したいのであれば
双方の意見を持つ政治家や専門家を呼んで十分に議論すべきです。
議論なく物事を進めていく危険性は、既に過去の戦争やハンセン病問題等で
何度も経験している事でしょう。
何故、同じ過ちを繰り返そうとしているのか。
ワクチン接種が始まった当初、ワクチンを打てばコロナには罹らない
だから皆で打って皆がコロナにならないようにしよう
というロジックであったように記憶しています。
この考え方にも賛否はあると思いますが、ある意味、稲盛氏の「忘己利他」の考えにも共通する
自分のためだけではなく他人のためにという日本人の美徳にも見え
一定の理解は得られるでしょう。
しかしワクチン接種がどんどん進んでいくのと比例して
爆発的に感染者が増加していったのは皆さんご存じの通りです。
ワクチンを1回打とうが4回打とうが罹る時は罹る
それが証明された今、ワクチンは感染しないためではなく
重症化しないためという目的に入れ替わりました。
打っても感染するとわかった時点ですでに他者に感染させない為、他者の為、皆の為
という当初のロジックは崩壊しています。
今打っているのはあくまで他者のためではなく自分のため
自分が重症化しないために打っているのです。
もちろんそれでいいんです。それが正しい行動でしょう。
しかしそれでは何故、自分のためだけに打ったワクチンの接種証明がなければ
行動制限がかかるのか、そこが理解出来ないのです(まだ行動制限はかかっていませんが…)。
ワクチンを打たずに重症化し大変な思いをしたり死亡するのも自由。
ワクチンを打っても重症化したり死亡したり、ワクチン後遺症に悩まされるのも自由。
全ては自己判断の自己責任、自分の生きる道を自分で選んでいるに過ぎません。
自分の選んだ道を他人に証明して一体何の意味があるのか、全く理解出来ません。
そのうえに差別的な制限をかけるなど言語道断です。
本当の専門家なら今はこう言うべきでしょう。
「ワクチンはあくまで自己判断の自己責任で打つも打たないも自由です。
他人は関係ありませんし、他人が強制するものでもありません。
安全性や効果を十分に理解した人が自分のために打つものです。
ワクチン接種の有無によって行動出来る範囲が変わる事もありません。
インフルエンザも毎年そうでしょう。」
まぁこんな事を言えば接種率が下がるので絶対に言わないでしょうが…
この先、ワクチンを打とうが行動自粛しようが何しようがコロナが無くなる事はあり得ません。
そんな事は皆わかりきっています。これは仕方のない事なのです。
この仕方のない事で差別を誘発するような事は絶対に避けなければなりません。
コロナよりも人間の方が恐ろしい事は、歴史が証明しているのです。