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2024/07/27
施設長のつぶやき~後見事務活動終了~
こんにちは、施設長の田原です。
聖地巡礼シリーズ~
しかし暑かった…
それでは本題です。
本題と言っても本日はただの思い出話です…
昨月、私が受任していた後見事務活動が終了致しました。
後見事務活動を始めた当時は地域包括支援センターの業務を退任し
念願だった古巣の通所介護の管理者に就任した時でした。
地域包括支援センターで初めて成年後見人申し立て業務に携わり
社会福祉士としてとても重要な業務である事を身をもって知りました。
しかし地域包括で沢山の困難ケースなどを担当している間は
とても自身が後見事務を行うという気持ちになりませんでした。
その為、通所介護の管理者に就任したのはちょうど良いタイミングと思い
大阪社会福祉士会の成年後見人養成研修に申し込みました。
別に包括より通所介護の方が楽という意味では決してありません。
しかし私個人の感想としては、包括で困難事例を担当する方が
やはり精神的な重圧がありました。
研修の受講費は5万円で当時の感想としてはとても高いと思いましたが
実際に研修を受講すると高名な先生たちの研修を生で受ける事が出来
この研修には5万円の価値があると思いました(中身は全然覚えていませんが…)。
当初は研修を受講するだけして、実際に受任するかはゆっくり考えようと思っていました。
しかし研修の最終日、終了と共に班形式で5、6名が座らされ
卓上に受任ケースの資料が何枚も配布されました。
研修のファシリテーターと思われる人たちから「さぁどのケースを受任しますか」と言われ
とりあえず1ケース引き受けるまで帰られない状況になりました。
(実際には最後の方まで残れば帰れたかもしれませんが…)。
早く帰りたかった私は、「施設入所している方であればそれほど難しくなくお勧め」という
ファシリテーターと思われる人の言葉に乗っかり
施設入所済みの方のケースを受任する事としました。
半ば強引に受任させられた格好になりましたが
どの道1ケースは受任するつもりだったので
早いか遅いかの違いと思い前向きに取り組む事としました。
そこで早速大阪家庭裁判所に行き正式に受任を承諾しました。
(社会福祉士会から依頼があった時点では正式な受任ではなく受任検討という事で
家裁で情報を見てから受任するかどうか、つまり断る事も出来るという体ですが
実際には依頼を引き受けた時点で断れません。あくまで当時ですが…)。
これが2013年末ごろの事。
そこから今日における後見事務活動の始まりとなりました。
翌2014年、もう一方受任しますが
この方は受任後1年も経たないうちにお亡くなりになりました。
何せ受任時、本人様はちょうど100歳を迎えられたばかりで天涯孤独の方でした。
この方も施設入所者だったのですが
そういった事情もあり相談員の方や施設主治医の先生からは
いつどうなっても良いように準備をしておいてほしいと言われていました。
ですから後見事務活動を始めて1年程で死語の事務まで担当する事となったのですが
大阪社会福祉士会の恩師の先生(専門学校の時の先生)や
家裁の方の助言、指導のもと、何とか滞りなく死語の事務を担当する事が出来ました。
その後、何度も大阪社会福祉士会から新規受任依頼がありましたが
転職なども重なりとても受任できる状況ではなかったので全てお断りしました。
そうこうしている間に、大阪社会福祉士会からも相手にされなくなったのか
新規受任依頼はなくなりました。
(社会福祉士会員は社会福祉士個人で受任する事は禁じられており
全て社会福祉士会を通して受任する事となっています)。
さて先月お亡くなりになった方とは、11年半ほどのお付き合いとなったのですが
振り返ってみると、「これで良かったのかなぁ」というのが感想です。
何せ通所介護、包括、居宅介護支援、そして今の特養のように
たくさんの利用者、ケースに関わった訳ではありません。
たった2ケースです。
まぁ人と比べるものではありませんが、2ケースでは比べようもありません。
圧倒的に経験が足りていないというべきかと思います。
それでも後見事務としての経験は少なくとも
これまでのソーシャルワーカーの経験を活かしてきたつもりではあります。
受任当初、家裁からの情報提供で「家族は死ぬまで連絡はいらないと言っている」と
言われたような記憶がおぼろげながらあります。
ですから、受任後とりあえず家族に受任した旨を手紙でお知らせしましたが
当然のように返事はなし。
施設の方と相談しながら後見事務が始まりました。
施設の方はとても協力的で優秀な方ばかり。
私が後見人として処理しないといけない書類などが施設に届けば私に転送してくれるだけではなく
わざわざ電話までくれる丁寧ぶりでした。
情けない話ですが、多分、私が処理を忘れてしまう事を危惧されていたのだと思います。
そんな優秀な施設職員さんの力を借りながら
受任当初「家族は死ぬまで連絡はいらないと言っている」とまで言われていた
家族(本当の事がどうか知りませんが…)とも徐々に連絡が出来るようになり
最後の3年程は携帯電話でのやりとりはばっちり出来るようになりました。
また4年程前に終末期を迎えるかもしれないという事があったのですが
その時には入院先の病院の主治医、看護師、相談員、施設相談員と共に私に加え家族も参加し
今後の医療行為(延命)についてしっかりカンファレンスを行なう事が出来ました。
そしてこの日のカンファレンスを境に
それまで全て私に来ていた連絡が、医療に関する事は
まず家族に連絡するように変更されました。
私としても医療に関する事で連絡されても医療同意は絶対に出来ませんので困っていた所でした。
ですからここまで家族が関わってくれるようになった時は
「このケースもここまでやってくる事が出来たか」というある種、感慨深いものがありました。
そこから本人様の体調も回復しコロナ禍も乗り越えた所だったのですが、先月ご逝去されました。
主に担当した事務としては
月1回の面会(出来ていない月もありましたし、特にコロナ禍以降は一切出来ませんでした…)
還付金・交付金の申請、介護保険制度の各種申請
後期高齢者医療保険料や入院時のアメニティセット等のお支払い、施設から届く計画書類への署名
定期的な通帳の記帳、年1回の家裁(4月)、社会福祉士会(2月)への報告書の作成
病院・施設・家族との連絡調整などです。
これらの事務を元に後見人の役割である身上監護と財産管理を行なって来たつもりです。
文字にすると大したことないように見えるのですが
どれか一つでもミスると全部自分に責任が及んできますので、結構なプレッシャーでした。
この辺りは大阪社会福祉士会として受任しているとはいえ
勤務先の法人で受任している訳ではないので
やはり個人事業主のような独特の感覚がありました(あくまで私の感覚・感想です)。
お亡くなりになった事は悲しいのですが
一つの役目を終えたという気持ちがないと言えば嘘になります。
それだけに先述したように「これで良かったのかなぁ」という思いが頭を過ります。
出来れば施設で行われるであろう
デスカンファレンス(ご逝去後の利用者のケアを振り返る会議)にも参加してみたかったですが
まぁ呼ばれる訳もなく。
たぶんもう後見事務を受任する事はないと思います。
第一、大阪社会福祉士会が義務付けた
後見事務継続必須研修(ぱあとなあ名簿登録更新研修)なるものにも
すったらもんだら言い訳して結局1回も行ってませんので、もう依頼も来ないでしょう。
この11年半で得た知識を今後の業務に活かしていきたいと思っています。
それがこの11年半で関わったお二人に対する最大限の感謝にもなると思っています。
実際にこれまでも沢山の業務に活かす事が出来ています。
本日はお二人のご冥福をお祈りしながら思い出話でした。